1989(平成元)年
帯広市民文化ホールオープン
帯広・十勝の新たな文化の殿堂「帯広市民文化ホール」がオープン。こけら落とし公演では、帯広交響楽団ファーストコンサート、新春邦楽舞踊公演が行われました
当時の新聞記事
帯広・十勝の新たな文化の殿堂「帯広市民文化ホール」がオープン。こけら落とし公演では、帯広交響楽団ファーストコンサート、新春邦楽舞踊公演が行われました
当時の帯広~札幌間を結ぶ特急「とかち」が9月から運行開始。「とかち」は1日5往復、札幌~釧路間を結ぶ特急「おおぞら」の6往復と合わせると、札幌間の特急が11往復となり、道央圏との経済や観光の交流が一層盛んになりました
当時の1958(昭和33)年に建てられた庁舎は、狭隘であり老朽化も進んでいたことから、1990(平成2)年に新庁舎を着工、1992(平成4)年に完成しました。地上12階・地下1階建ての庁舎は、当時、帯広一高い建物として話題になりました
当時の1993年(平成5)年
釧路沖地震
JR根室本線の帯広市連続立体交差(鉄道高架)が開通しました。交通渋滞の緩和や交通の円滑化が図られるとともに、新しい駅舎も誕生。これに伴い、駅周辺の開発が進み、帯広市中心部の区画整理が進みました
当時の4年に1度の「全国農業機械展示会」が十勝農協連家畜共進会場跡地で開催。同展示会は国内最大級の農機具展示会で、過去最高となる94社が最新の農機具を紹介しました。また、同会場では、地元グルメが楽しめる「食彩祭」が同時開催されました
当時の1985(昭和60)年、朝陽市からの視察団来帯をきっかけに交流が始まり、この年に国際友好都市を締結しました
当時の隣席や店主とふれあいながら十勝の食を楽しめる「北の屋台」がオープン。地元の人はもちろん、観光名所として人気を集め、帯広の夜の賑わいを生み出しています
当時の北海道で初めてとなる国際現代アート展「デメーテル」が開催。オノ・ヨーコをはじめ、世界的に活躍する10組14人のアーティストが様々な作品を披露しました
当時の9月26日早朝、釧路沖を震源とするM8.0の地震が発生。十勝管内では最大震度6弱を記録しました。余震も起き、電気や水道などのライフラインにも影響が及びました
当時の1955(昭和30)年以降、帯広市街地が線路の南側・西側に広がりニュータウンが形成されます。そして自家用車が普及すると、市内に交通渋滞が発生しました。
これを解消するため、大通りには跨線橋、西5条にはアンダーパスが設置されました。最終的には昭和50年代後半から市街中心部の鉄道高架化が計画され、駅の建て替えを含めた工事は1996(平成8)年に完了しました。
さらに鉄道高架化事業は駅南部の再開発事業を含むもので、物資の貯蔵・輸送のための土地だった「駅南」「鉄南」には、大型スーパーや市民文化ホール、とかちプラザや図書館などが建ち、人々が集まる場所に生まれ変わりました。
当時の