1966(昭和41)年
大分市と観光文化姉妹都市提携
帯広民衆駅誕生
帯広ステーションビルが商業施設とホテルを運営する地上3階・地下1階建ての民衆駅として、新駅は誕生しました。帯広市の都市改造事業により新たに整備された駅前地区一帯に、新駅舎は華を添えました
当時の新聞記事
帯広ステーションビルが商業施設とホテルを運営する地上3階・地下1階建ての民衆駅として、新駅は誕生しました。帯広市の都市改造事業により新たに整備された駅前地区一帯に、新駅舎は華を添えました
当時の福井県で開催された「明治100年」を記念する国民体育大会の冬季スケート競技会が、帯広市の緑ヶ丘特設リンクで行われました。帯広市としては3度目の国体スケート競技会で、大会は大観衆で盛大に盛り上がりました
当時の帯広地方裁判所跡地に建設した商業ビルに、イトーヨーカドーの北海道1号店として出店しました。山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」に登場するなど、長い間、帯広市中心街の顔として親しまれました
当時の1978(昭和53)年
松崎町と開拓姉妹都市提携
露天商の集まりから始まった広小路商店街の近代化を目指して、毎日が歩行者天国の全蓋アーケードが作られました。雨の心配をすることもなく、七夕まつりや帯広市主催のイベントが行われた際には多くの人出で賑わいました
当時の帯広駐屯地にあった旧帯広空港はジェット機の騒音対策や将来的な拡張計画のため役割を終え、新しい帯広空港が帯広市泉町に建設されました
当時の帯広市は、晩成社が入植してから100年を迎えたこの年に、苦節を乗り越えてきた先人たちの功績を称え、記念式典を盛大に行い、二世紀への飛躍を誓いました
当時の帯広市開基100年・市制施行50年記念事業として開催されたグリーンピア'82十勝博では、先端技術によって農林業の未来像を展示したポマトの大型模型や月の石の展示などが人気を呼び、多くの来場者が訪れました
当時の1989(昭和64)年
昭和天皇の崩御
初めての帯広氷まつりは、1964(昭和39)年2月に帯広小学校(現在の中央公園)で開催されました。開催状況を詳しくみていくと、2回~4回目は裁判所跡地(西3条南9丁目)、5回~6回目は西5条にあった亜麻工場跡地で開催されましたが、多くの来場があり、会場が手狭になってきました。そして、1970(昭和45)年の第7回からは、現在と同じく緑ヶ丘公園で開催されるようになりました。なお、1974(昭和49)年~1976(昭和51)年の3年は、オイルショックの影響で重油・軽油が不足し、自衛隊に協力を仰がず、第1回会場の中央公園で、規模を縮小して開催したと当時の新聞は伝えています。
当時の