開基70年・市制施行20年を記念して、帯広市市歌の制作、北海道平和博覧会の開催など、様々な記念事業が行われ節目の年を慶祝しました
当時の12月、広小路1区北側の中央市場から火が出て8棟36世帯が消失。これを機に道路上のマーケットが撤去され、新装改築が進みました
当時の昭和天皇皇后両陛下の行幸啓が行われました。昭和天皇は、皇太子殿下時代を含めると、3度目となる北海道行幸で、帯広市内は歓迎の人波で賑わいました
当時の4月1日に川西・大正両村と合併し、帯広市の人口は約10万人となりました。6月には、合併祝賀パレードが行われ、約120台の自動車が新旧市域を一巡して、祝意を表しました
当時の高度経済成長期を迎えた昭和30年代には、近代的な都市基盤の整備が始まり、亜麻工場跡の用地には、市役所庁舎や市民会館など、近代的な建物が建てられました
当時の1959(昭和34)年
帯広市総合計画策定
36年もの沈黙を破り噴火し、大正火口縁の硫黄鉱山事務所が噴石により破壊され、死傷者が出ました。これを教訓として防災対策が強化され、1988(昭和63)年の十勝岳噴火の際には、被害を最小限に抑えました
当時の1964(昭和39)年
第1回帯広氷まつり開催
1959(昭和34)年の国民体育大会は、帯広市にとって初めてのスケート全国大会の誘致でした。市民や各種団体の協力が大会を支えていました。スケートリンク造りでは、「名人」と呼ばれた西村忠恵氏の活躍により、全国大会にふさわしいリンクが完成しました。
選手・役員を受け入れる宿泊施設は旅館業組合の協力のもと振り分けられ、事前に食事などの衛生指導が入りました。また、国体事務局と市内バス業者が協力して、国体参加者のバス運賃無料化を実現しました。
当日は、婦人会が赤飯や牛乳をふるまい、参加者をもてなしました。
当時の